袋小路の男

袋小路の男

袋小路の男

どうしても、イライラさせられる友人がいた。
その人は、明るくて、話が面白くて、気のつく人だったし、友達も多かったし・・・、ケチのつけようがない、いい人だった。
わざわざ私のウェブサイトを探してきて、日記に対して、口頭で「ああいうことは書かないほうがいいよ」と、コメントしてくれたことを除けば。*1
どうしてイライラしたのかというと、キャラがかぶっていたからだ。
「こういうことを言ったら、雰囲気が凍るよな」と私が思いついてしまって、言わなかったことを、見事に言う人だった。
繰り返されるうちに、なぜか、その人と同じ空間にいるだけで、自己嫌悪に陥るのだ。
 
そして、この本に収録されている「袋小路の男」「小田切孝の言い分」に出てくる日向子(袋小路の男では、名前は出てこないが)は、私にとって、なぜか自己嫌悪に陥りそうになる女性だった。
あんなマゾヒスティックなことはしないんだけど、自分にその要素があるかも知れないと、そして、この本に浸りそうになる自分にヒヤリとした。

「袋小路の男」は私とあなた(小田切孝)の、指一本触れ合わないままに過ごした12年間(私16歳→28歳)の「私」側の思い出である。
「小田切孝の言い分」は、小田切孝と大谷日向子(「袋小路の男」の私)のそれぞれから見た現在(出会ってから18年後、つまり知り合ってからの年月が、知り合う前の年月を越えている)である。
田切は高校時代は、不良っぽくて、成績も良くて、学年の違う日向子でも知っているような高校性だった。
日向子が好きだという思いをいくらぶつけても、小田切は受け入れず、説教したり、勉強を教えてくれたり、食事をしたりするだけだった。
でも、今は作家志望で、賞を取ったことはあるけれど、全然本が出せなくて、ジャズバーでバイトしている。
日向子は会社員をしていて、きっちり仕事をこなしている。
高校時代は、あるい意味でスター的な存在だった先輩と、それに憧れる後輩の関係だった。
今は、袋小路の奥につかまってしまった男と、袋小路の入り口に立ち、彼の弱さを見て見ない振りをする(もしくは見なかったことにする)女の関係である。
一人称で書かれる「袋小路の男」は、淡々と書かれていて、上手い。
思わず、うっとりする。
だけど、かなりヤバイ関係である。
互いに語る「小田切孝の言い分」は、小田切の情けなさがかわいくて、日向子の心の動きが切実で、思わずうっとりする。
だけど、かなり困った人物たちである。
 
「アーリオ オーリオ」はパスタ好きの清掃工場に勤める天文マニアのエンジニア男性と、その姪である、頭が良くて繊細な中学生の交流である。
姪の美由は、大人びているような子供っぽいような、ちょっと変わった子である。
俗物の(何事も滞りなくこなしていける、社会のルールに対する迷いのない)父や、周囲の友達には、ちょっと違和感を感じている。
その美由と、叔父・哲の交流は、手紙。
成長していく美由の感情の一部分が切り取られて送られてくる。
その鮮やかさに、哲の単調な生活がふと揺らぐ。
若いっていいなぁ、とは違うけど、一週間前とは種類の違う今日を過ごしていた中学生の頃を思い出すと・・・、嫌なガキだったなぁ。
やっぱり自己嫌悪に陥る。

*1:サイトのURLをメールアドレスから類推して、探してきてくれたけど、その頃は赤裸々に日記を書いていたので、サイト移転・ハンドル変更の憂き目にあった。
その後、伯母にも弟にもばれ、面倒になって、日記を書くのを止めたけど。